世界で三番目に幸せ

宝塚と若手俳優とコスメおたくの壁打ちブログ

一度でいいから座りたかった席

今日、先行で取っていたチケットを発券した。その話。

 

自分の気持ちの整理の為に書いています。酷い話ですので、自己責任で読んでください。多分これまで書いた記事で一番酷い内容です。

書かない方がいい話題でした。書くつもりはありませんでした。でも、今年の7月からずっと私の中であった話で、ここ半年ずっと引きずり続けてきた話でした。

けれど今日、自分の中でケリがつきました。今日、書かない訳にはいきませんでした。

なので書きます。本当に自己責任で読んでください。

 

 

夢がありました。今年の6月くらいまでの夢です。7月以降はその夢を捨てました。

一度その舞台で、その席に座ることができたら、舞台おたくそのものを辞めようと思っていました。

 

座ったことはありません。ないです。これまで一度も。見切れではなく全席指定で、自分の名義で取れたチケットで座りたい。多くの舞台おたくなら、一度は思ったであろう、そんな夢。

 

某ステと某ミュ。普段から私のブログを読んでいる方にはバレバレだと思うんですけど、この二作品限定。宝塚はノーカウント。他にも好きな舞台はあるけど、これもノーカウント。

どちらかでその席を取れたら、その時点で、辞めよう。

全て今年の6月までの話。7月に、この夢を無くしました。ステで色々あった話を散々ブログでしたけれど、それは実は関係ない。

 

理由は、リアルでの友人がミュでその席に座ることになったからです。

 

めちゃくちゃ喜んでた。うちわを作らないと。美容室に通って、コスメを買って。色々やらないと。そうだよね。そりゃあそうだよ。

最初に言うと、悪いのは私です。彼女が友人じゃなければ「いいなぁ〜」で済んだ話。

この友人、というのが厄介だった。Twitter等で知り合った方なら良かった。学生時代からの友人だった。あまりにも付き合いが長く、知りすぎていた。彼女の応援スタンス。彼女の作品との向き合い方。全部知ってた。知ってしまっていた。

普段の私なら他人なんて気にしない、応援の仕方は自由。押し付けるつもりなんて全くないし、それに関しては彼女に対してだってそうだ。でも、この時ばかりは、彼女が私にとって、親友とも言える人だからこそ、「羨ましい」という感情を通り越して、「何で?」と思った。

「何で?」と思う方が「何で?」だ。抽選だから。それ以上でもそれ以下でもない。彼女は全く悪くない。

私の推しくんも出る舞台だった。原作ファンとしても、俳優ファンとしても、思うところがありすぎた。ありすぎてしまった。単純な嫉妬なら良かった。そんな一言で片付けられる感情じゃなかった。

 

喜ぶのは当たり前だ。どんなに普段から私が色々と彼女にこの舞台について言っていようと、推しくんの話をしようと、私の応援スタンスを話していようと関係ない。

「凄いね!」「羨ましい!」他の友人達に紛れて「おめでとう」と言って、学生時代の友人のみをフォローしている身内垢と呼べるTwitterアカウントをログアウトした。

アカウントは流石に消さなかったけれど、LINEの通知も切った。何か少しでも話すと余計な事を言いそうだった。水を差したくはなかった。大事な友達の幸せを素直に喜べない自分が嫌だった。

 

人として失ってはいけないものがある。いつもそう思っていた。思いやりとか、優しさとか、気遣いとか。そういった感情。人を傷つけてまで自分の我を通すことはしたくなかった。

けれど、この時、めちゃくちゃ辛くなってしまった。八つ当たりしない為には離れるしかなかった。

 

なんでこの子が?私はどうしてこの席に座れないの?どうして私は選ばれないの?

 

理不尽すぎる。本当に彼女は悪くない。

これまで彼女が取れなかったチケットを私が連番で取ってあげたとしても、彼女が最速先行の日程を普通に忘れていたとしても、先行の為に俳優や主催のファンクラブを掛け持ちしていなかったとしても、シリアルを必死で積まないとしても、彼女だってファンだ。私との間に差なんてない。結局同じチケット代を出している。

取れたかどうかが全てだ。過程なんてものは誰にも評価されない。

 

私と舞台の話をする上で、宝塚の話は切っても切り離せないので少し触れると、宝塚はそうじゃない。

宝塚のシステムが分からない方のためにざっくり言うと、宝塚のチケットは普通に公式ホームページに記載されている方法やプレイガイド、各所の貸切以外に、タカラジェンヌ個人の私設のファンクラブで取り次いでもらう、という方法がある。

このファンクラブ、通称「会」は一応、非公式だ。そういった名目がある。

チケットは取り次いでもらえるが、あくまで加入するのはタカラジェンヌの応援の為。軽い気持ちでチケットを取るために加入するものではない。

けれど、要はこの「会」での活動。入り待ちや出待ち、各種イベントの参加、チケット協力。自力で確保した良席をファンクラブに差し出し、悪い席でも見る。お金と時間、自分を削る書き出すとキリがない数々の「貢献」

この「貢献」をした人は、大変な思いをした見返り、と呼べるものでもないけれど、例えば特別な日のチケットを取り次いでいただいたり、取り次いでいただいたチケットの席が良かったりする。もちろん、それらの「いい事」目当てで入るような場所ではない事だけは再度記載しますが。

つまりはざっくりとした説明ですけど、宝塚は、努力した分それなりに、いや本当にそれなりですけれど、いい事があったりもするんです。

 

他の世界はこうじゃないんですよね。当然だけど。

私は元々若手俳優おたくだったので、この宝塚のシステムには本当に驚いたし、少なくとも全くの新規と長年応援していたファンの方では、言い方はアレですけど扱いが違う事は素直に凄いなと思いました。そのシステムで成り立っている事がそもそも凄い。100年以上続いた宝塚じゃないとこんなの無理だ。

けれど、頑張れば頑張っただけ、少しでもいい、少しでもいいから、何か良い事があってほしい。そう考えてしまうおたくの罪。

 

見返りを求めるな、というのは当たり前。それは大前提。

新規に良い事がなかったらジャンルは成り立たない。それも当然。

新規が嫌いなのかと勘違いされそうだけど、私は全くそんなことはない。むしろ好きになってもらいたい。チケットが取れないならできる限り協力したい。少しでも興味を持ってもらえたら嬉しい。そもそも私も永遠の新規。誰に対して偉いなんて事はない。マウントなんて取れるわけがない。私は所詮この程度。この程度しかできないおたくです。

けれど、それだけじゃ割り切れない事が存在する。してしまった。それも普通の他のファンではなく、友達に対して。そんな自分が嫌すぎた。

なんで好きになったんだろう。なんで抽選なんだろう、なんで。なんで彼女なんだろう。なんで私は…。

 

これが知らない人なら良かった。知ってたから、友達だったから。だからだよ。だから辛かった。私の前で嬉しそうにする彼女は悪くない。心が狭かった私が悪い。それだけの話だった。

お金で解決できる話なら良かったのに。お金と時間は、愛や運なんて不確かなものとは違う、はっきりとしたもの。

転売サイトでの購入等ではなく、きちんと正規の手段で、席の値段をオークションにしてくれたら、例え取れなくても諦めがつくのに。

もちろんそんなシステム、難しいのは分かってる。荒んだおたくの独り言だから許してください。

 

結局、まぁ7月に、それで荒れた。同じタイミングで宝塚の贔屓に対してもちょっと色々あってこれも荒れた。他の記事でも書いたけど、ストレス発散の為にデパコスを爆買いした。

該当の舞台も、席は良くなかったけれど自分で確保してちゃんと推しくんには会った。これに関しても色々あったけど、会えた事は嬉しかったし、やっぱり私は彼が好きだった。

 

…………色々あって、今に至ります。

今は普通にTwitterの身内垢にもログインしています。音信不通も流石に2ヶ月くらいが限度かなと思ったので、色々無理やり飲み込みました。当の友人に関しても当日は楽しんだようなのですが、このジャンル、夏から色々あったので、彼女がこれからも追うつもりなのかは分からないし私も流石に触れられない。察しの良い方は事情が分かるかと思います。このあたりはまた別のお話。

 

……………実はここまで、長い前置きでした。ようやく冒頭の話になります。今日の話。

 

今日が何の日か。一般販売でした。先行で取っていたチケットが発券開始になるのも、今日でした。

困ったことに今日はお仕事だったので実はちょっと抜けました。一般目当てではなく、発券目当てで。

 

発券されたチケットを見て、真顔になった。

 

ふらふらとローソンを出て、何もないのに転んだ。上手くバランスをとって持ち直した。

信号待ちをしていた時に目眩がした。まずい、と思った。耐えました。久しぶりに目が回る経験をした。とりあえず職場に戻って目眩の時の薬を飲んだ。持ってきていて良かった。

そこから仕事をこなして定時を迎え、寄り道することなく家に帰った。そのままこうやってブログを書いています。

 

…幻覚かな?と思ってますが、もしかしたら幻覚かもしれないので、名言はしないでおこうと思います。贔屓の退団の話といい、名言ができない話ばかり増えていきます。

当日会場に私が生きて到着して、無事に幕が上がったら、その時は、と考えています。

 

チケットには、私の名前がある。一文字も変わらない、私の名前。私が取ったんだから当然です。私が自分で応募して、私の運で取った、私の為の席。

私が元気で、身内に不幸がなく、自然災害もなく、多数の舞台関係者の皆さんに何も問題がなく、無事に幕が上がれば、私はその日その場所にいることを許されている。

 

…ようやく、許してもらえた。この作品に。

 

長かったよね。長かったんだよこれでも。何年かな、長かった、本当に。

例え何らかの事情で、この日、この舞台を見れなくなったとしても、幕が上がらなかったとしても、もう、これで充分です。

取れたという事実でもう生きていける。

ありがとうございます、私を選んでくれてありがとう。抽選だけど、システムで無作為に選ばれただけだけれども、それでも、もういいんです。

 

まるで最後みたいな書き方をしていますが、もしこれが今年の6月の話だったら、ここで辞めています。けれど一度捨てた夢なので一応、舞台おたくは辞めない。というか辞めるわけにはいかない。

贔屓の退団公演も含めて来年の3/25には死ぬしか選択肢がないんじゃないかってくらいなんですけど。………いや、もしかして死ぬのかな私?

でも、このシリーズに限って言えば、これが最後でも良いのかもしれない。最高に幸せなまま離れた方がいいのかもしれない。いやいや7月、めちゃくちゃ楽しみだし、秋だって楽しみだけど、むしろこの発券の瞬間が最後で良かったくらい、なんだか達成感?やっぱり、許されたって気持ちがあります。何に許されたんだろう。

多分、私がようやく私を許してくれたんです。

 

終わった……………(始まってすらいません)

 

初演、とても好きでした。大泣きしました。また観れる事は素直に嬉しい。ホテル等々は贔屓の為に既に抑えてあるし、仕事の休みも問題ない。

問題は、確実に泣くということ。服に関しても贔屓の退団の感じで行くつもりだったので、予定外な事になってしまってちょっと困ってる。ただでさえめちゃくちゃ忙しいのに、間違いなく一番忙しい。

全てに関する感情が5周くらい回りきっていて、万が一天変地異他で見れなくなったとしても、それで構わないくらいにはなんだかもう全てが良い思い出になっているのですが、本当にまだ何も始まっていません。

 

2018年、本当に苦しかったんですよ。何でだろう、めちゃくちゃ辛かった。もちろん楽しい事もあったけれど、悲しい話が多かったのも理由かな。私個人じゃどうにもできない話が多すぎて、それに苦しみ続けた。

2019年、3/24で一回私のおたくとしての生活に区切りがつきます。でも、その先だって私の人生は続くはずなんです。まだまだ舞台おたく自体を辞めるわけにはいかない。観たい公演は沢山ある。

後悔だけはしたくないよね。ずっとそう思ってる。来たるべきその日に向けて、もう少し、今からやれることを頑張ります。

 

お付き合いいただきありがとうございました。